こんにちは須藤武美です

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陸上自衛隊の「レンジャー訓練」について



 5月12日、13日の演説会での私の訴えでも触れたように、陸上自衛隊は、6月12日、30人のレンジャー部隊が、顔料を塗り、迷彩服姿で、小銃や銃剣を装備し、板橋区の荒川河川敷から舟渡大橋、西台駅前、西台中央通りを通り、練馬駐屯地まで行進するという訓練、「レンジャー訓練」を計画しています。この訓練は災害対策とは全く関係がありません。憲法9条のある日本で、平穏な住宅地で戦争状態を想定した「軍事訓練」をおこなうことなど、絶対に許されません。共産党板橋地区委員会は5月12日に中止を求める声明を発表しています。

 私は5月18日午前中に、参院選予定候補の吉良よし子さんや共産党の板橋区議団、平和委員会の方々などといっしょに、レンジャー部隊の行進予定コースをすべて歩き、調査を行ないました。コース沿いには、学校、保育園、公園、商店、マンション、都営住宅、一戸建て住宅などが続きます。歩道を二列で歩くということですが、1人が歩くのにも狭い歩道、西台駅前や練馬の北町商店街のように通行人が絶えない場所、また保育園の園児たちの散歩道など、まさに住民の日常生活の真っ只中を銃剣を持った迷彩服の部隊が行進するのだということがよくわかりました。その異様さ、危険性に戦慄を覚えました。隊員と住民との接触事故は不可避だというのが率直な印象で、絶対に実行させてはいけないと感じました。

 18日の午後は、行進予定コース沿いの高島平1丁目の住民を訪ね、共産党板橋地区委員会の声明文を手渡し「レンジャー訓練」の計画を知らせ、懇談しました。20人近くの方とお会いしましたが、計画を知っていたのは1人だけでした。訓練の内容を知らせると例外なく驚きを隠しません。災害対策とは関係のない、銃剣をもつ訓練などやめてほしい、という意見で共通していました。私は、住民が訓練後に初めて知ったというような状況にしてはいけない、「何が起こっているのか」を早く区民に知らせ、一緒に考え、議論し、反対の声をあげることが急務だと責任を痛感しました。

 21日午前中、日本共産党の国会議員団の要請で「レンジャー訓練」について防衛省から説明を受ける場が設定されました。防衛省の人事教育局人材育成課人材育成班長が対応、質疑応答は1時間余に渡りました。そこではっきりしたことは、「レンジャー訓練」は3ヵ月に渡るもので、事故が多発し死亡者も出ている非常に危険な訓練であること、6月12日はその最後の訓練で、睡眠不足で疲労困憊、精神的にも極限状態の30人が人口密集の市街地を行進するというものであるということです。危険極まりないもので中止させる以外にないと改めて強く思いました。

 私は3点質問しました。
 ①交通量が少ない歩道というのが条件という説明だったが、実際に歩いてみて、歩道は狭く、歩行者を含め交通量は少なくない。条件を満たしてない。変更はあるのか。これに対する回答は「幹部に伝えて検討する」とのことでした。
 ②住民は知らされていない。知らせたところ非常に大きな不安を感じている。政府の責任で周知徹底するのか。これに対しては「自治体に通知している。住民への周知は自治体の仕事」とのことでした。
 ③「レンジャー訓練」中に死亡した隊員がいると聞いたが事実か。これには「レンジャーに限らず、訓練中に死亡事故は起きている。それが訓練とどういう因果関係にあるかは不明である」という回答でした。

 説明会を通じて強く印象に残ったことの1つは、住民の意向を非常に気にしていて、「自治体が訓練を見直してほしいと要望すれば検討する」と答えた点です。全区民に急いで知らせ、政府にも、板橋区にも「訓練中止」を求める世論と運動を急速に強めることが切実に求められています。

 板橋では、労働組合、民主団体の代表、そして共産党板橋地区委員長の私などが呼びかけて、5月25日に、「レンジャー訓練の中止を求める板橋実行委員会」(仮称)が結成される運びになっています。6月1日には、日本平和大会東京実行委員会の主催、板橋実行委員会などの共催で緊急学習会(午後6時30分、「コアいけぶくろ」音楽室)が開かれます。ご一緒に運動を発展させましょう。
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by sudotakeyosi | 2012-05-23 20:29

12日、13日の演説会での訴え



 日本共産党板橋地区委員会は、5月12日(高島平区民館)、13日(文化会館大会議室)に演説会を開催、それぞれ400人、380人が参加しました。12日の弁士は、笠井亮衆院議員、吉良よし子さん、13日は小池晃政策委員長、宮本徹さん。そして、両日、私、須藤武美衆院東京11区(板橋)国政対策責任者と、とくとめ道さんが訴えました。私の訴えは、以下の通りです。


 みなさん、こんにちは。日本共産党の衆議院東京11区(板橋)国政対策責任者の須藤武美です。私は、2001年から10年余り、日本共産党板橋地区委員会の責任者を務め、区民の切実な要求の実現に力をつくしてきました。こうした経験も生かし、今度国政に挑戦します。どうか、よろしくお願いいたします。

 最初にみなさんに訴えたいことは、陸上自衛隊が、板橋区内で「レンジャー訓練」を計画している問題です。自衛隊は、6月12日、30人の自衛隊レンジャー部隊が、迷彩服姿で、小銃や銃剣を装備し、荒川の河川敷から舟渡大橋、西台駅前、西台中央通りを通り、練馬駐屯地まで行進する訓練を計画しています。レンジャーは、敵陣へ侵入し、拠点の破壊を行なう特殊部隊です。この訓練の目的は災害対策とはまったく関係ありません。憲法9条のある日本で、この平穏な住宅地で戦争状態を想定した「軍事訓練」をおこなうことなど、絶対に許すことはできません。共産党板橋地区委員会は、中止を求める声明を発表しました。世論を広げ、この訓練、中止させようではありませんか。ご協力をよろしくお願いいたします。

 さて、みなさん。私は、今年1月末に、予定候補に決まって以来、地域を歩き、区民のみなさんと対話、懇談をしてきました。対話した方の数は800人を超えました。そこでは、国民の期待を裏切った民主党政権への強い怒り、消費税増税への不安と不満が語られました。

 87才の女性は、利用料が高すぎるので、介護保険を使わずに、88才の夫の介護をしていました。しかも57才の娘さんは障害を抱えていました。「今の政治には情けがない。野田さんのやることには一々腹が立つ。クタクタだが、夫、娘を残して先には死ねない。助けてください」と訴えられました。私は、弱者に冷たい政治に怒りを覚えると同時に、「もっと共産党に力があったならば」と腹の底から悔しさが込み上げてきました。

 商店街では、「消費税が増税されたら、店をたたまざるを得ない。うちの商店街は消えてなくなってしまう」、こんな声をいくつも聞きました。私は、それを聞いて「消費税が増税されたら、今の街並みが変わってしまう。社会が破壊されてしまうんだ」と実感させられました。
  
 30代の男性は、設計の仕事を10年続けてきました。長時間労働の結果、うつ病を発症し、現在、生活保護を利用しています。「就職活動を続けたが、全部門前払い。普通の仕事と生活をしたいだけなのに、今の社会はそれさえも受け入れてくれない。一番困っているのはやっぱりお金。消費税増税を思うとぞっとする」と語りました。
 
 私は、年金生活者や低収入の青年をはじめ、国民の暮らし、中小零細業者の営業を破壊する消費税増税を、絶対に許すことはできません。今国会で何としても廃案にしようではありませんか。

 私は、地域を歩く中で、共産党の提案、政策は、広範な国民の思いと共鳴する、共感していただけるという、実感をもつことができました。
 
 ある商店街のブティックの女性経営者と対話になりました。この方は「自民党政治を終わらせたい」と60才にして、前回の総選挙で初めて投票に行き、民主党に入れました。しかし次々と裏切られ、政治不信の塊りになっていました。それでも「消費税は、少しは上げざるをえないのかな、と思っていた」とおっしゃいます。そこで、消費税増税は社会保障の引き下げと一体であること、まずムダを一掃し、不公平税制を是正する、さらに所得税の累進課税強化をすれば、消費税を増税しなくても財源はつくれることを説明しました。やりとりの末に「そんな考えがあるんですね。共産党にもっと頑張ってもらわないとダメですね。人生2度目の投票は共産党です」とおっしゃってくれました。

 5月5日、すべての原発が止まった日、私は「すべての原発の停止をステップに、原発のない日本を実現しましょう」と訴えました。子どもたちが手を振って応えてくれました。学校給食の問題で結びついた、3人の子どもをもつお母さんは、ツイッターで「今日原発がすべて止まったこと。それは希望の光です」と書いて送ってくれました。

 日本共産党は、現在、残念ながら、国会のなかでは議席が少ないかもしれません。しかし、「消費税増税ストップ」、「原発の再稼働は許さない」という国民多数の願いに応えているのは、民主党でもなく、自民党でもなく、日本共産党です。
 
 私、須藤武美は、消費税大増税をやめさせるために全力をつくします。原発の再稼働をやめさせ、原発ゼロの日本を実現するために全力をつくします。そして高齢者も、現役世代も、青年も、子どもたちも、希望をもって、生活し、働き、学んでいける、社会の実現めざして全力をつくします。
 
 今、多くの国民が、民主党も、自民党も選びようがない、どの政党を選ぼうか迷っています。1人しか選べない、この板橋の小選挙区で、国民多数の要求、願いにまっすぐに応えられるのは、日本共産党の、私、須藤武美しかおりません。何としても勝たせてください。
 
 そして、東京の比例代表ブロックは、定数17で、みなさんの一票一票がすべて議席の前進につながります。現在笠井亮さん1人だけの議席です。今度は、宮本徹さんを含めて、2議席を何としても勝ち取らせてください。そのことを最後に心から訴えまして、話を終わらせていただきます。ありがとうございました。(了)
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by sudotakeyosi | 2012-05-13 21:42

趣味その他について



 昨日の「私の歩みから」に続いて、趣味その他若干のことについて書かせていただきます。

◆山歩きについて

 富士山登山や霧ヶ峰高原のハイキングなど時々は登山、山歩きをやっていましたが、とくに50代になり、山歩きを趣味とするようになりました。奥武蔵、奥多摩や丹沢周辺、群馬の山などは日帰りでよく歩きました。年に1~2度は2000~3000m級の山に登っています。谷川岳には同じ年に春、夏、秋と3回登ったこともありました。映画「剱岳」を観た後は、“剱”を直接見たいと室堂を基地に立山を縦走し、“剱”に段々と接近、目前にしたときの感動は忘れられません。昨年夏には、八が岳の硫黄岳に登りました。好天に恵まれ、山頂では30分ほどのんびり昼寝もしました。

 山歩きは何も考えず1人で黙々と歩くもよし、ペースの遅い妻にぶつぶつ言いながらも2人づれはもちろん楽しいものです。山歩きが与えてくれる爽快感は、青空の解放的情景とともにいつまでも心にとどまり、生きる支えとなってくれます。

◆映画について

 映画は年に50~60本、劇場で観ています。週1本平均です。午後9時以降の上映もあり、決して活動、仕事の障害にはならず、むしろ活力源です。

 ヒューマンドラマ、ラブロマンスから時代劇、サスペンス、アクション、青春ドラマ、コメディ―、ミュージカルなど、ホラー以外は、何でも観ます。
 
 最近観た映画でお薦めは、「ヘルプ」と「わが母の記」。ツイッターにも書きましたが、「わが母の記」の樹木希林さんの絶妙な演技には圧倒されました。「母の愛」に胸を打たれ、10年前に他界した母親のことを思い起こしました。親不孝ばかりした悔恨の想いとともに。

 昨年観た「人生、ここにあり!」(イタリア)もお薦めの1本です。1978年、バザーリア法により精神病院が閉鎖されたイタリアの実話がベースになっており、元患者たちが協同組合をつくり、自ら道を切り開いていく様をコミカルなタッチでつづっています。「人生ってすばらしい!」、希望と勇気を与えてくれました。

◆剣道その他スポーツについて
 
 小学生時代はソフトボール、中学時代は軟式テニス、高校では体育の授業でラグビーや柔道をやりました。ラグビーには結構夢中になりました。

 大学入学とともに剣道部に入部しました。民青同盟の活動が忙しくなり、1年生の9月にやめてしまいましたが、楽しい思い出がつまっています。大学構内の合宿所や愛媛・松山の道後温泉近くの愛媛武道館での合宿なども体験しました。足の裏が擦りむけて痛くてたまりませんでした。それでも基本的な型だけは習得し、初段をもらいました。1974年の夏、富士山登山をしたのも、剣道部の1年生の仲間たちと、でした。

◆自転車について

 2001年、板橋地区委員会に転勤。自宅から事務所までの通勤方法を検討した結果、自転車が一番便利であることがわかりました。当時、徳留道信さん(現在、党板橋地区都政対策責任者)が自転車で飛び回っていることも聞いて、自転車での通勤と区内の移動に踏み切りました。最初は30数分の通勤に大変さを感じましたが、もうすっかり慣れ、1日30~35㌔走る日も少なくありません。心肺機能を高める効果もあると聞いて、健康法としても位置付けています。
             
                                  (2012年5月4日記)
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by sudotakeyosi | 2012-05-04 07:22

私の歩みから



 私の今日までの歩みを、簡単に書かせていただきます。

●幼少期から大学入学まで

 1954年(昭和29年)4月6日、埼玉県児玉郡神川町(利根川の支流の神流川沿いの田園地帯で、川を越えれば群馬県藤岡市というところ)に、兼業農家の次男、4人兄弟姉妹の末っ子として生まれました。家はけっして裕福ではなく、父は現場労働者として身を粉にして働き、母は畑仕事に明け暮れていました。それでも、6つ以上離れている他の3人の兄や姉と比べて不自由なく幼少期を過ごしました。

 社会の矛盾を感じながら、田舎育ち、貧しい暮らしへのコンプレックスも拭えず、人間なんて虚しいものと虚無主義に陥り、高校時代などは太宰治や坂口安吾を好んで読んでいました。

 同時に、現実生活では、安定した社会的地位と経済力を獲得しなければと受験勉強に没頭し、商社に入ろうと一橋大学商学部に進学しました。高校時代には「おもしろきこともなき世を厭いつつ 明日また生きる方策をねる」などと高杉晋作の辞世の歌(「おもしろきこともなき世をおもしろく 棲みなすものは心なりけり」)をもじって詠んだりしました。

 東京11区(板橋区)選出の自民党衆議院議員・下村博文さんは、高崎高校3年3組の同級生です。奇遇にも板橋の地で彼と選挙をたたかうことになりました。

●共産党との出会い、入党まで
 
 大学1年生の5月の連休明け、クラス討論の時間に、1人の学生が政府・自民党による大学の管理強化を批判し、集会・デモへの参加を訴えました。訴えの中身はよく理解できなかったのですが、社会の矛盾に挑んでいる姿に心を動かされ、討論終了後、その学生を追いかけ「僕、デモに行くよ」と返事をしました。これが、私と民主青年同盟(民青)との出会でした。

 ※民主青年同盟(民青同盟)=日本共産党を相談相手に仕事や学校など毎日の生活のことから社会のさまざまな問題までなんでも交流し、平和で青年の願いが実現する社会をつくろうと行動する青年組織。

 5月15日、集会・デモに参加した日に、民青に誘われました。話を聞き、幼少期から感じていた社会の矛盾、そして虚無的な気分、いろんなモヤモヤが解決できる道を探しあてられるような気がしました。実践と学習を通じて自己の確立をはかりたい、と民青同盟への加盟を決意しました。
 
 民青同盟での科学的社会主義の理論と日本共産党綱領の学習は楽しいものでした。社会には歴史的発展法則が貫かれ、ジグザグはありながら、着実に進歩・発展していること、日本共産党は文字通り命をかけて侵略戦争に反対し、主権在民を主張してたたかったこと、今の日本社会の矛盾の大本に、財界・アメリカいいなりの政治の異常があること、当面の社会変革は資本主義のなかでの民主主義の徹底にあること、などがよく理解できました。自分の幸せと社会進歩を重ね合わせ、誰もが幸せに暮らせる平等社会を実現する一翼を担いたい、と1974年12月、日本共産党に入党しました。

●学生運動に明け暮れた学生時代
 
 学生時代は、東京都学生自治会連合副委員長、全日本学生自治会総連合中央執行委員などを務め、学費値上げ反対、勉学条件の改善、有事法制反対など、学生の切実な要求を実現するとりくみに力をつくしました。大学の民青同盟班の責任者も務めました。こうした経験を生かし、党の専従職員になった後、1991年から3年間、日本共産党東京都委員会青年学生対策委員会責任者を務めました。
 
 大学入学直後から剣道部で活動し初段を取得しましたが、民青同盟の活動が忙しくなり、半年後の9月に退部しました。
 
 党の方針として、実践活動と勉学の両方を重視することが「学生党員の2つの任務」として強調されており、卒業論文も書きました。

●共産党の地区委員長を23年余務める

 1980年、大学卒業とともに、日本共産党に勤務しました。銀行やメーカーに就職する学生党員もいましたが、共産党の実践活動が楽しくてしかたなく、「政治と社会を変える仕事に、最大限ダイレクトにかかわりたい」という思いで、共産党の専従職員の道を選びました。今から思うと、一般の社会生活を経験した方がよかったか、「若気の至り」だったか、などの思いもよぎりますが悔いはありません。
 
 共産党に入っていること、党専従の道を選んだことについては、手紙で親・兄弟姉妹に知らせました。自分の幸せと社会進歩を重ねあわせて生きるのが日本共産党員の立場であることなどを書き連ねました。実家では大騒ぎになり、口数の少ない父親も「甘やかしすぎた」と語ったと後に聞きました。しかし、手紙を書いて一週間後、実家に帰ったときには、誰一人反対の言葉は口にせず、母親は「よく家を忘れずに帰ってきた」と迎えてくれました。「何で共産党に」という家族の気持ちが手に取るように感じられただけに、母の言葉が有難くもあり、かえって辛くもありました。
 
 最初の勤務地は出身大学の所在地の北多摩中部地区委員会、小金井市、国分寺市、国立市の三市を担当する地区委員会でした。学生宣伝組織者、地区常任委員などを経て、31才で地区委員長に就任し、途中3年間、都委員会青年学生対策責任者に就きましたが、通算で13年間北多摩中部地区委員長を務めました。この間、国分寺市、国立市に革新民主市政を実現する活動の一翼も担いました。その後、2001年11月から板橋地区委員長を務め、地区委員長歴は通算で23年半となりました。

 地区委員長の役割は、選挙戦を勝利に導く活動、財政活動をはじめ、責任が重いものでした。また一日の活動のまとめは夜となり、帰宅は深夜となりました。とくに30代の頃は、活動経験が少ないために共産党の仕事に全身全霊を傾けざるをえず、結婚して子どもが生まれ保育園への朝の送りなどは担いましたが、妻や子どもに大きな負担をかけることになりました。もちろん夏休み、正月、5月の連休など家族で過ごす時間はありましたが、子どもたちの悩みなどに日常的に相談にのる余裕がなく、のびのび育ってほしいとの思いを一方的に抱いていただけだったように思います。子育てはすべて妻任せという実態でした。この点については、忸怩たる思いを今でも拭えないでいます。

 共産党の専従職員として32年間、一言でいえば「国民の苦難の軽減と、切実な要求の実現に力をつくす」との思いでやってきました。昨年の3・11の東日本大震災、原発事故のあとは、石巻、仙台、女川などに足を運び、被災地支援にとりくみ、板橋区内での原発ゼロを求めるウォークにも参加しました。
 
 民主党政権が、消費税大増税と社会保障の引き下げ、原発再稼働、TPP参加をはじめ、自民党以上に自民党的な悪政をすすめている今、悪政の大本を切り替え、国民が希望をもって暮らせる社会の実現めざして全力をつくす決意です。板橋での10年余の活動経験を生かして、衆議院東京11区(板橋区)で国政に挑戦します。




 
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by sudotakeyosi | 2012-05-03 01:33

はじめまして

はじめまして。須藤武美です。
日本共産党板橋地区委員会の地区委員長で、衆議院東京11区(板橋区)の国政対策責任者をやっています。今度、国政に挑戦します。
日々の生活、活動のなかで感じたこと、みなさんに伝えたいこと、訴えたいことなど、今後ときどき書かせていただきます。よろしくお願いします。
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by sudotakeyosi | 2012-05-01 18:02